あなたの眠っている素晴らしい才能を開花しませんか。
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☆バシャールの言葉


             素晴らしい偶然が次々と起こるバシャールの言葉
             「お金の科学」さんの動画より

 ◎覚醒、悟り ・根源のエネルギーに至る!その5

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  仏教の教えに悟りの根本原理について説明したマニュアルがあります。

 それは、四諦(したい)または、四聖諦(ししょうたい)というものですが、四諦の「諦」とは、「ものごとの本質を明らかにすること」とか、「真理(本当のこと)」と言う意味です。そこから「正しい生き方」という解釈もあります。

 ですから、四諦とは、「四つの真理(本当のこと)」とか、「四つの正しい生き方」ということになります。(四つの聖なる真理という意味で「四聖諦」と言うこともあります)

 その四つの真理とは、

一、苦諦:人生は「苦」であるという真理

二、集諦:苦の原因は煩悩 ・妄執、求めて飽かない愛執であるという真理

三、滅諦:その苦を滅した境地が「悟り」であるという真理

四、道諦:その悟りに到達する真理は「八正道」の実践であるという真理

  以上の四つです。そのため「苦集滅道」ということもあります。

 苦諦とは「人生は苦である」という真理です。ここで言う苦とは、「苦しみ」、「悩ましいこと」というような意味です。「自分の思うようにならないこと」を言います。

 お釈迦様はこの苦には「四苦」「八苦」があると説いています。

 人生には四苦八苦以外にも、・天災地変・飢饉・貧困・不仲・不安などたくさんの苦しみがあります。
 
 つまり、人生は、「四苦八苦」以上の苦しみの連続なので、その苦を招き集めるのが煩悩であり、この煩悩とは自我が、これらの苦を感じ取った瞬間に発生するものです。

 そして、自分が「集諦(じったい)」を行っていることに気づき、道諦(どうたい)により、その苦悩の根元から解決することが、仏教の教えの真髄になります。

 「八正道」の実践とは・・・、

 滅諦で、苦から開放されるためには、その原因である煩悩を、滅するか、コントロールすれば良いことが分かりました。

 そこで、道諦では、煩悩に振り回されないしっかりした自己を確立する方法を説いています。

 それは、正しく物事を見(正見)、正しく考え(正思)、正しく語り(正語)、正しく行為し(正行)、正しく生活し(正命)、正しく努力し(正精進)、正しく念じ(正念)、正しく心を決定させる(正定)という八つの実践にあるということです。

 これを「八正道」と言います。 聖なる道を実現するところから「八聖道」ともいわれています。

 究極の目的である煩悩が滅した世界を「涅槃(ねはん)」と言います。ミクロの命数の涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と、一致しています。
 
 さて、「パワーかフォースか」には、自我のエゴがすべての苦しみの元凶である!と、書いてあります。

 人間である限り、自我のエゴから生じる煩悩に囚われながら生きていることになります。

 「パワーかフォースか」の解決法は、意識レベルを高めることになりますから、「八正道」の実践と類似しています。 
 
 ですから、私たちの人生を幸せなものにしようという点からも、苦しみの根源に気づき、それを解決しようという同じような内容になっているのです。

 苦しみがなくなり、心が穏やかになり、毎日が平穏に暮らすだけでも、ありがたいことで、難病が治るとか、奇跡が起こることの可能性が高くなるのですから、悩みのある現代人には、たとえ悟りに至らなくてもお勧めしたい情報なのです。

 このメルマガでは、なぜ、素粒子以下の微細なミクロの命数にこだわるのか?

 それは、仏教の悟りに至る量子的な原理が隠されているように思えたからです。

以前に、ミクロの命数を意識して、心の深奥に至るツールを作りました。

 六徳 (りっとく)→虚空( こくう)→清浄 (しょうじょう)→阿頼耶(あらや)→ 阿摩羅(あまら)→涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

 と、意識を無限小の量子レベルに向けると、まるで狐につままれたような状況になり、あり得ない奇跡の体験になりました。

 今までカゼの初期症状だった人が、ミクロの命数を意識するだけで、別人のように回復して元気になったり、歯医者さんの治療でも全く痛みを感じなくなったり、近眼の人がメガネがいらなくなったり・・・と、まるで、別の次元に移動するかのような現象が起きたのです。

 量子論にパラレルワールドがありますが、別次元にいるもう一人の自分と入れ替わったように思われたのです。

 今、瞑想法の研究によってパラレルワールドへと量子論的に飛び込むことができると主張している専門家がいます。

 彼はそれを量子的飛躍=クォンタムジャンプ(quantum jump)と呼んでおり、パラレルワールドで生きる自分に出会うことで人生にさまざまな可能性が拓けてくるというのです。

 理論物理学者のミチオ・カク 博士は、初めて見物する物事であるにもかかわらず過去に体験したことがあると感じる「デジャヴ 体験」は、パラレルワールドを一瞬「垣間見てしまう」ことによって引き起されているのではないかと言及しています。

 このように我々が生きている現実と平行して無数に存在するパラレルワールドは何らかの接点を持ち得るものであり、情報の伝達や交換が行なわれているのではないかという説がいくつも登場してきているのです。

 望ましくない状況 →→ 望ましい現象に短時間で変えるには・・・。

 ・意識の変容 ・タイムスリップ ・量子的飛躍 ・周波数の変換が考えられます。

 清浄(しょうじょう)→阿頼耶(あらや)→ 阿摩羅(あまら)の配列は、心の構造でもあり、非常に微細な量子の世界であり、意識レベルの高い言葉なので・・・。

 ・意識の変容 ・量子的飛躍 ・周波数の変換が考えられます。

 そして、清浄(しょうじょう)が、マナ識になっているのも、人類が何千年間もマナ識の奴隷状態にあり、苦悩状態から脱却できる仏教の智恵が込められていると考えました。

 メルマガでも、これらの命数をイメージするだけでも、あり得ない奇跡の体験があったので、1000年以上も昔に、ミクロの命数を創作した人は、すべてを知り尽くしている賢明な存在だと思ったのです。

 素粒子は人間が観測すると「物質化」し、観測していないときは「波動」になことが判明しています。

 素粒子で作られている万物は、人間の観測、つまり人間の「意識」が注がれたときに物質化するということ。逆に、人間の意識が介していないときは、万物は波動であり非物質なのです。

 つまり、「人間こそが万物に影響を与えている創造主」であり「人間があって万物がある」ということを、量子力学は証明しているのです。

 これは「あなたの意識」が、目の前に起こる現象を決定しているということです。

 つまり、良い意識をすれば、良い現象が物質化される。悪い意識をすれば、悪い現象が物質化される。意識なくして存在するものは、この世にはないということです。

 あなたの意識によって現実はいくらでも変わるということ。運命やカルマは存在せず、あなた自身が創造主として、思い通りの現実を作る力を持っている。これが量子力学から読み取れる真理です。

 けれども、これは、自我のエゴの支配下から離れた量子の領域での意識であり、通常ではありません。

 量子コンピューターは、「量子の重ね合わせ」を活用することで、同時に2つ以上の演算を並列処理するメカニズムです。

 それは、現状のスーパーコンピューターが数千年かかっても計算できないものを、たった数十秒で終わらせるという驚異的な性能を発揮するのです。

 量子の世界では奇跡が当たり前に起きるのです。

 ところで、人工知能の開発者で「人工知能の父」と言われ るマサチューセッツ工科大学のマー ビン ・ ミンス キー教授は・・・。

人工知能の開発には当然 、人間の心の構造の研究が大切になる 。

ところが、現代の心理学は十分に教えていない。そこで、心を専門とする宗教の中に、人間の心の構造を解明したないかと調べてみた結果、 キリスト教もイスラム教も、ほとんど、心の仕組みを教えていない。ところが、仏典には詳しく説かれていた。

釈尊は実に優れた心理学者だ。コンピューター開発に仏典が比類なきテキストになる。と、述べています。

 理論物理学で、日本初のノーベ ル賞を受賞 し た湯川秀 樹博士は、素粒子の研究に 、ギリシャ思想(西洋の科学)は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた。と、述べています。

 素粒子物理学の分野でノーベル賞を受賞されたのは、湯川先生を筆頭に、朝永先生、南部先生、益川先生、小林先生、と、この分野だけに集中してるのですが・・・。

 彼らも含めて、世界中の物理学者が、仏教思想と量子論との一致があまりにも多いことに驚きを禁じえ得ないと述べています。
 
 分子→原子→・・・と、細分化して、これ以上分解できない最小単位のものを「素粒子」と呼んでいます。

 この素粒子を研究しているのが「量子力学」です。

  コンピューターや、携帯電話、スマートフォンなど、現代生活に欠かせない、量子論・・・。

 現代物理学の主流が量子力学であり、量子力学は、物理学・化学 をはじめとした自然科学全体に爆発的な進歩をもたらし、工業的にも極めて重要なものとなっています。

 量子力学は、応用物理工学だけでなく、化学や生命科学などの全てのサイエンスの基礎であると同時に、エレクトロニクスやナノ・テクノロジーなどの最先端科学技術に応用されています。

 この量子論の創始者である3人のボーア、ハイゼンベルク、シュレー ディンガ ーも、仏教をはじめとする東洋の思想を学んでいます。

 物理学者のアインシュタインア イ ン も、物理的な考えを突き詰めて行くと、仏教に説かれている概念と酷似したものがある、そして、現代科学に欠けているものを埋めあわせてくれるものがあるとすれば、それは仏教です。と、言っているのです。

ありがとうございました。
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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
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 ◎覚醒、悟り ・根源のエネルギーに至る!その4

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今日は24日ですが、ミクロの命数の最小の数が10のマイナス24乗の涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)になりますから、関連性があるようにも思われます。

 このレベルになると10のマイナス16乗の素粒子よりもはるかに微細な次元を超えたレベルになります。

 ≪ 六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 涅槃寂静≫
 りっとく ⇒ こくう ⇒ しょうじょう ⇒ あらや ⇒ あまら ⇒ ねはんじゃくじょう

  私達の本質=真の自己=無限のパワーは、より深い微細なエネルギーのレベルに存在していますから、これらの微細なミクロの命数には深淵な関連があるのです。
 
 このミクロの命数の前にある、六つの命数を分析してみると、これにも法則めいたものが見えてきます。

 それは、模糊 (もこ) ⇒逡巡 (しゅんじゅん)⇒須臾 (しゅゆ )⇒瞬息(しゅんそく)⇒弾指(だんし )⇒刹那(せつな)になります。

 ○模糊 もこ (あいまいなこと) 「曖昧模糊」(あいまいもこ) :実態がはっきりせず、よく分からないさま。

 ○逡巡 しゅんじゅん(決断がつかないこと) 「遅疑逡巡」(ちぎしゅんじゅん) :疑い迷ってためらい、しりごみする。
 
 ○須臾 しゅゆ (しばらくの間)

 ○瞬息(しゅんそく)は、瞬間にする息のように短いもの。

 ○弾指(だんし )は、指を弾く程のきわめて短い時間。

 ○刹那(せつな)は、極めて短い時間、一瞬。

 「瞬息」「弾指」「刹那」は、10のマイナス16乗~18乗の「六徳」の前の数の単位になりますが、これらは、明らかに時間の単位になります。

 瞬息(しゅんそく)は、10のマイナス16乗ですから素粒子(量子)のサイズになり、この大きさになると物質が空間から消えたり、出現したりするのです。

 刹那の意味は、極めて短い時間、一瞬、となっていますから、これらは、時間の単位とみなすと、つまり、1京分の1秒⇒10京分の1秒
⇒100京分の1秒となり、これらの命数を意識することのより、この瞬間の時間の世界に入って行けるのです。

 その先の六徳(りっとく)は、1000京分の1秒になります。すべてを時間の単位に統一して涅槃寂静まで至れば、とんでもない「一瞬の世界」に至ることができます。

 つまり、模糊 (もこ) ⇒逡巡 (しゅんじゅん)⇒須臾 (しゅゆ )は、迷いの世界で、この世の三次元のあいまいで、疑い迷ってためらい、しりごみする。という、この世の人間の心そのもの、現実の迷いの世界そのものなのです。

 エゴに支配され、マイナスの現象で渦が巻いている現実の世界で多くの人が悩みながら生きているのです。

 それを、「瞬息」⇒「弾指」⇒「刹那」を意識して、今の瞬間に至り、解決するのです。

 その悩みが深刻ならば、さらに、次元を超越した世界に、六徳からのミクロの命数で入って行き、無限のパワーに解決してもらうのです。

 迷っていることや、悩み事があるなら、このミクロの命数を意識して、今の瞬間に至るのです。

 今の瞬間に心を開けば、シンクロニシティが頻繁に起きて、セレンディピティの能力も極限まで高まるのです。

 ミクロの命数は、大きさの単位と思っていたのですが、時間の単位を併用することで、応用範囲が広くなり、さらなる神様からの贈り物が与えられるのです。

 今の瞬間、瞬間に自分の心を開けば、神様から必要なものは必要な瞬間に、全てが与えられると言われています。

 心からこの[今に生きる」を実行している人達が天才と言われている人達です。

 人間→器官→毛細血管→細胞→ミトコンドリア→酵素→分子→原子→素粒子→→→無限小の生命体

 この中の→→→には、命数の 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒ 涅槃寂静が、入ってもOKになります。

 今日は24日で、その前の23は、阿摩羅識  22は、阿頼耶識 その前の21は清浄(しょうじょう)で、これは六根清浄(ろっこんしょうじょう)の清浄になります。

 ですから、22の阿頼耶識の中の記憶の種子(しゅうじ)=現実の現象を生じさせる原因の元を浄化する!

 すべての種子(しゅうじ)を浄化するのではなく、悩みの種になる種子(しゅうじ)を、阿摩羅識のパワーで根こそぎクリアにするのです。

 そして、純粋な愛のエネルギーで満たすのです。

 「阿頼耶」とは、サンスクリット(梵語)で「蔵」という意味で、地球上に生命が誕生したと言われる30億年にものぼる過去を記憶しているのは阿頼耶識であり、さらに、阿頼耶識はあらゆる行為を種子(しゅうじ)として溜めこむだけではなく、目の前の現実を生み出す源であると考えられています。

 これは、まさしくDNAのことであり、DNAの中には、30億もの遺伝の情報が格納されていて、30億年以上の生命の情報も記憶されているのです。

 遺伝子情報の解読は、つい最近の現代のことですが、「阿頼耶識」の概念は、はるかに2000年も昔のことになります。

 「阿頼耶識」の概念も、現代の最先端の科学がやっとたどり着いた知識なのに、仏教の哲学にはすでに存在していたのです。

 阿頼耶識のレベルでは、すべての生命はつながっており、一体であるという意識になってきます。

 この領域があるので、遠隔ヒーリングも可能になるのです。
 
 さらに、心の最深層領域には、阿摩羅識があります。

 命数の阿摩羅(あまら)は、10のマイナス23乗(1000垓分の1)であることを示す漢字文化圏における数の単位である。

 仏教用語としての阿摩羅は、阿摩羅識のことです。

 阿摩羅とはサンスクリットで「汚れのない」という意味で、阿摩羅識は「根本清浄識」と漢訳されています。

 生命の最も奥底には、この第九識があり、この根源の清浄な生命のはたらきを開き顕すことによって、生命を根底から変革できるとしています。

 この心の最深層の領域が「魂」だと思います。

 ですから、この領域へ至ることは非常に大切になるのです。

 第九識の阿摩羅識のエネルギーが、八識も七識も浄化してくれるのです。

 そのためにも、「いま、ここ」にある量子の世界に入るのです。

 意図的に、素粒子のサイズである10のマイナス16乗~18乗の「瞬息」→「弾指」→「刹那」を意識して入っていくのです。

 意図的に「量子」の世界に入り、シンクロニシティを引き起こし、さらに、ミクロの命数での六徳 ⇒ 虚空 ⇒ 清浄 ⇒ 阿頼耶 ⇒ 阿摩羅 ⇒涅槃寂静で、悩みの種になる種子 (しゅうじ)を、つまり、過去に蓄積した記憶を・・・。

 これは、何世代も世代をさかのぼり、遺伝子に組み込まれた記憶なのかも知れませんが、この記憶を阿摩羅識のパワーで根こそぎクリアするのです。

 高次元のエネルギーに同調すると奇跡が起きて繁栄が約束される!という説もありますので、日ごろから意識を深層に静めることを実践することが、エゴの支配から離れることになります。
 
 多くの人が、意識の表層だけで生きていて、悩んだり苦しんだりしています。

 心の最深層は、いつでも満ち足りていて静か、穏やかで平和、そして幸せなのです。

 ありがとうございました。
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 ◎覚醒、悟り ・根源のエネルギーに至る!その3

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前回のメルマガでは、意識を微細な素粒子(量子)に向ける例を紹介しました。

 それは、一般的な物理的解釈でも、究極の「今、ここ」になります。

 限りなくゼロに近い瞬間、限りなくゼロに近い最短の距離が、「今、ここ」ですから、最小単位の素粒子(量子)になってしまいます。

 これは、邪念が入る余地もない今の瞬間になります。余念や雑念がない「無我無心」の「今、ここ」になるのです。
  
 道元禅師「回向返照の退歩を学すべし」という教えの中にも「念の発する根本を追及する・・・」というのがあります。

 これは、その念が出てくる根源に意識を向けるのですから、道元禅師の教えも、意識を微細な素粒子(量子)に意識を向けることになります。

 道元禅師も悟りを開いた高僧ですから参考になります。

 過去のメルマガから、回向返照の退歩に関連した文章を掲載します。

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 曹洞宗の道元禅師は『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』という本のなかで、 「須(すべか)らしく言を尋ね語を逐(お)う解行(げぎょう)を休すべし。須らく回向返照の退歩を学すべし。」と、説いております。

 回向返照(えこうへんしょう)の退歩とは、「ぱっと念が出る。その瞬間、この念、何処れより来たる、と根本に向かって追究せよと。その結果、身心自然に脱落して、”本来の面目現前せん”と、あるのです。

 ”本来の面目現前せん”とは、「本来の自己」が出現して悟ることができる!というのです。

 道元禅師は、心に浮かんでくる思考や耳元でささやく声に囚われないで、いちいちその思念について行かないで観察し、その念の発する根本を追及することで悟ることができると教えているのです。

 つまり、あらゆる思考・感情・分別の心などの自我の想念が出てきたらその念に気づいて観察し、「この想念はどこから来ているのか?」と、自問して、その念が出てくる根源に意識を向けるのです。そして、その根源に意識をとどめておくというのです。

 「その念に気づいて観察し」とは、その念に囚われないで、只(ただ)観察するのです。その念(思考)に焦点を合わせず、傍観して、流れにまかせるのです。

 私達は、目の前に起きる現象や頭に浮かんでくる想念を只(ただ)冷静に観察することはできません。

 現実に起きる現象に過去の関連する記憶と結び付けてしまうのです。思考が反射的に出てきて、無意識に反応するのです。これが、心の働きであり心の癖でもあります。

 この心の癖があるから観念に振り回されるのです。

 ですから、この自我の思考は仕方がないので、その思考に気づき第三者の眼で、冷静に只(ただ)観察するのです。

 道元禅師の只管の教えは、自我の思考に「気づく」ことから始まります。

 「気づき」とは、直観と同じで根源の「本来の自己」からくるのもです。シンクロニシティも、根源からくるものですから、「気づき」やシンクロが多くなることは、自我のエゴがそれだけ少なくなるのです。
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 世界中で実践されているマインドフルネスは、回向返照の退歩の前半の部分になります。
 
 つまり、あらゆる思考・感情・分別の心などの自我の想念が出てきたらその念に気づいて観察する。

 その思考に気づき、第三者の眼で、冷静に只(ただ)観察するのです。

 批判も判断もなにも加えず、第三者の眼で、冷静に只(ただ)観察するのです。

 これだけでも、エゴの力は弱まりますから、すごいことです。

 道元禅師の教えは、さらに、その念が出てくる根源に意識を向けるのです。そして、その根源に意識をとどめておくのです。

 が、加えられるのです。

 とにかく、何があっても、感情に振り回されず、常に自分が観察者であり続け、根源に意識を向けるのです。

  どのような思考や感情に対しても、少し距離をおいて冷静に「これは自分自身ではない」という第三者の視線で眺めることを続けるのです。

 このように雑念を切り離していくと、感情に振り回されない穏やかな心になれます。喜びに満ち溢れる穏やかな気持ちでいられるのです。

 さらに、根源に意識を向けると、つまり、微細な素粒子(量子)に「今、ここ」に意識を向けると、量子的転換(飛躍)=クォンタム・リープがおきるのです。

 意識が一氣に上がる意識の変容です。

 私達は、自分の中心の根源から微細な素粒子(量子)に至ることにより、量子世界の法則が適用される次元、つまり、五次元の意識の波動にシフトすることができるのです。

 ありがとうございました。
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