あなたの眠っている素晴らしい才能を開花しませんか。
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★金運に対する潜在能力を開花★

    

   ☆エネルギーアップ


 WBC,侍ジャパンの準決勝での敗退、残念でした。

 どの選手も、力の限り活躍したので素晴らしい試合でした。楽しませてもらいました。感謝です。

 先日、フィギャスケートの本田真凛ちゃんが、自己ベストでも優勝できなかったのですが・・・。

 来年の平昌オリンピックに向けて、来期は、これでシニアにも上がれると思うので、シーズンオフ中に覚醒したい!と、インタビューに、答えていました。

 この歳で、覚醒したい!という意味が分かっているのか?

 いくら努力しても、自分には限界があり、奇跡を起こすための無限のパワーを引き出すためには、覚醒する以外にない!と、思っていたなら、あり得ない奇跡が起きると思います。

 さて、過去のWBCの第1回の王監督も、第2回のイチロー選手も、覚醒まで行かなくても、奇跡を起こすほどの高い意識レベルに達していました。

 金メダルとか優勝には、実力+アルファが必要だと思いました。+アルファとは、奇跡を起こす高い意識レベル=意識の変容になります。

 本田真凛ちゃんは「シーズンオフ中に覚醒したい!」の前に、「正直、すごく悔しいです。でもやれることはすべて出し切った結果です。すごく複雑な気持ちですが、1位の選手におめでとうと、頑張って言いたいです。」

 と、答えておりますから、無意識にも、この+アルファを備えているようにも思います。

 「これでシニアに上がれると思うのでシーズンオフに覚醒したい!」という言葉も、どのスポーツにも、どの分野にも共通しておりますから真剣に捉えてもらいたい言葉です。

 覚醒と言えば、私事ですが・・・。

 先日、久々に都会の駅の大勢の人の中を歩いていたら、ten thousand people maybe more.♪(1万人かそれ以上の人々)という何十年も前の歌の一節が頭の中に聞こえてきました。

 これは、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」という歌ですが、突然聞こえてきたので、驚いたのですが・・・。

 それが、自分の意識とは違う、明らかに深いところから聞こえてきて、人ごみの喧騒の中なのに、とても気持ちが良くなり、人々が輝いて見えたのです。

 この歌は、「サウンド(音) オブ(の) サイレンス(沈黙)」ですから、「沈黙の音」とか「沈黙の世界」とか「静寂」とか、色々と訳されておりますが、禅に傾倒していたボブディランの影響も受けていると思われます。

 この歌の最初は、このような内容で始まります。

 Hello darkness, my old friend♪
 こんにちは、僕の古い友の暗闇(ダークネス)くん。

 I’ve come to talk with you again♪
 また君と話しに来たんだよ。

 Because a vision softly creeping♪
 なぜなら、ある幻影が、そっと忍びこんできて、

 Left its seeds while I was sleeping♪
 眠っている間にその種を置いていったんだ。

 And the vision that was planted in my brain♪
 そして、僕の脳に植え付けられた幻影は

 Still remains within the sound of silence♪
 沈黙の世界の中にまだ残っているんだよ。
 
 seeds(種)、was planted in my brain(脳に植え付けられた)、a vision(幻影)、sound of silence(沈黙の世界)(静寂)など。

 これらは、先日メルマガに書いた、第八識の阿頼耶(アラヤ)識の種子(しゅうじ)と、シンクロしています。
 
~~~~~
 八識の阿頼耶(アラヤ)識の中には、DNAの遺伝子と同じような働きをする種子(しゅうじ)と呼ばれているものがあり、過去のすべての情報が記憶されているというのです。

 阿頼耶(アラヤ)識は、すべての人類がつながっているという仏教の説と、『22を超えて行け』での22は、地球人類の集合意識ということですから一致しています。

 地球人類が22を超えてゆけない要因の一つに、人類は自分の自我と欲望に翻弄され、本来の魂の目的に焦点が合っていないこと!とありますが、このような内容からも、八識→九識の関連性がうなずけます。

 「ミクロの命数」は、私が名付けたものですが、アラヤが10のマイナス22乗になり、22という数字が一致するので、第八識の阿頼耶(アラヤ)識であることの確信が深まります。

 八識のネガティブな種子(しゅうじ)=遺伝子を九識のパワーで溶かし浄化することを、只管(ひたすら)観ずるのです。

 自我のエゴ=第七識の末那識は、八識にある過去の記憶や観念を引き出して、あなたをイライラさせあなたの嫌気のエネルギーを奪うのです。

 嫌な気分や不快になったら気のエネルギーのやり取りに気づくのです。

 落ち込み、苦しみ、不快、振り回されている、操られている、これらのすべてを九識の根源のエネルギ=無限のパワーで浄化することを観ずるのです。
~~~~~~

〇心(意識)が自分の心の奥の中心の中心の中心に近づくと・・・・

 ・病気になるはずの自分が、元気な自分にシフトするのです。
 ・痛みに苦しむはずの自分が、痛みのない自分にシフトするのです。
 ・事故で大怪我か死亡するはずの自分が、何事もなかった自分にシフトするのです。
 ・ビジネスで失敗だらけの自分が、成功できる自分にシフトするのです。

〇今までの常識から判断すると最悪の状態の自分になるはずなのに、臍下丹田の中心の中心の中心に至れば、望ましい自分にシフトするのです。

 まるで魔法ですから、こんなに都合の良いことはありません。ですから、このメルマガの読者は、無意識に、この事実を読みとばしてきたかも知れません。

 これは、マナ識のエゴがが嫌うことですから、目隠しをされて、盲目になっていたのかも知れません。

 ビジネスの活動をされている人は、今こそこの有り得ない奇跡を再確認すべきです。

 思い通りにならない三次元の世界から、すべての願いが叶う五次元の世界にシフトすることを真剣に追及するのです。

 これは、第一段階から第二段階へとシフトするのと似ているのです。ですから、この現象は明らかに「本来の自分」が関与しているのです。

 つまり、これは、かりそめの幻想の自分から「本当の自分」へのシフトの過程なのです。

 「覚醒」とか「目覚める」という言葉がありますが、私達は「本当の自分」になるまでは、目覚めていないことになります。

 私達は、自覚して、あたかも目覚めているように思っておりますが、三次元の世界では、夢や幻を見ていることになります。

 私達が現実と思っている三次元の世界は、苦しいことだらけの、ことごとく失敗だらけの思うように行かない世界なのですが・・・。

 「本当の自分」がいる世界は、有り得ない奇跡が当たり前に起る世界なのです。

 三次元の世界でも、自分の中心軸に近づけば奇跡が当たり前に起る世界になり、自分の中心軸から離れれば離れるほど、厳しい現実になるのです。
~~~~~~

 八識の阿頼耶(アラヤ)識に植え付けられたネガティブな種子(しゅうじ)を、そこまでたどり着く道をつくり、修正する!

 そのために22をこえていく!ちなみに今日は23日です。

 サイモンとガーファンクルの曲に「スカボローフェア」があります。

 この歌には、パセリ・セージ・ローズマリー・タイムというハーブの名前が、おまじないのように出てきますが、これらの4つのハーブの
名前を言うだけで魔除けになるというのです。

 ホ・オポノポノでも、4つの言葉を繰り返すことで、ネガティブな過去の記憶を修正できるという教えがありましたが、八識→九識への微細なレベルまでの道をつくり、意識レベルの高い言葉を繰り返すことで・・・。

 あの歌は、八識の阿頼耶(アラヤ)識に植え付けられたネガティブな種子(しゅうじ)を、修正することができる!というメッセージだと思います。

 ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・

『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
バックナンバーはこちらからご覧下さい。
http://archives.mag2.com/0000115502/index.html?l=bvo0f0393f

ありがとうございました。

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  「本来の面目」=「本当の自分」を引き出すという本が、朝日と毎日新聞の広告欄に載っていました。

 まだ、読んでおりませんが、興味深い内容が推測されます。

  『 ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』    ヨグマタ 相川圭子著

 この種のヒマラヤの教えは1万年近くも昔から連綿と秘密に伝えられてきており、それが、紀元前500年に、今から2500年前に、お釈迦様にも伝えられていた・・・。

 という説もありますから、ムー大陸の英知も考えられます。

    <内容紹介>

 心のとらわれを外し、悩みを手放す。そして、本当の自分に出会うーー。

 ヒマラヤ大聖者による「瞑想的生き方」指南、決定版。

 この本を手にしたあなたは、気づき始めていることでしょう。

 外側の世界を探求し、他人と競い合い、物事に執着する人生の虚しさに。

 人が、奥深くからの安らぎを手に入れ、幸せに満たされて生きるために必要なこと。

 その答えは、外側の世界ではなく、あなたの内側にあります。  

               「はじめに」より

 世界に二人しかいない「ヒマラヤ大聖者」が伝授する、執着を手放し、本当の自分に出会い、マインドフルネスに健康に生きるための瞑想的心得。

  <目次から抜粋>

第一章 本当の自分を覚醒させる
  
 ・心=あなたではない
 ・あなたは心の奴隷になっている
 ・今、ここにいると最高の状態が手に入る
 ・心を空っぽにする
 ・「思いの暴力」に気づく

第二章 心のとらわれを外し、悩みを手放す

 ・比較をすることで悩みが生まれる
 ・どんな仕事も必ず誰かの助けとなる
 ・「意識する」から失敗を繰り返す
 ・お金は「手に入れる」のではなく「入ってくる」もの
 ・気づくだけで人は成長する

第三章 すべては学びである

 ・嫌いな相手は自分を映す鏡
 ・あなたはすでに満ちている
 ・子育ては愛を出す修行
 ・執着を手放す

第四章 「ヒマラヤ瞑想」で健康体質になる

 ・体の違和感に早く気づく
 ・病を否定せず「本当の原因」を見極める
 ・心の病気につながる回路を絶つ
 ・眠っている脳の力を開花させる
 ・すぐに実践できる呼吸法

第五章 瞑想的に生きる 

 ・ぼーっとする練習をする
 ・むやみにものを増やさない
 ・「心配」ではなく「信頼」で見守る
 ・大きな声で笑う
 ・許す練習をする

第六章 「今、ここにいる」プラクティス─ヒマラヤ瞑想体験

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 人はごみを溜めながら生きている/比較をすることで悩みが生まれる/人は知識の鎧で身を守っている/出来事や感情はシンクロする/成果は誰にも属していない/集中力のある人ほど「何もしない」ができない/お金は「手に入れる」のではなく「入ってくる」もの/ヒマラヤ瞑想で病気をはねのける/病の本当の原因に気づくことが大切/瞑想をすると病気が治りやすくなる/心の病気につながる回路を絶つ/眠っている脳の力を開花させる/瞑想すると疲れが取れる/呼吸は生と死を繰り返す行為/姿勢はエネルギーを受け取るアンテナのようなもの
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  第一章の 本当の自分を覚醒させる という内容だけでもエゴの虜になっていることが書かれています。

~~~~~~
 ありがとうございました。

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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
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ありがとうございました。



 お坊さんの玄侑宗久(げんゆう・そうきゆう)氏が、白隠さんの内観法を書いた文章がありますので、紹介します。

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 白隠禅師が若い頃に難病を患った体験から生み出した、独特の健康法に「内観の秘法」と「軟酥の法」がある。この二つは養心養生を示した長寿法として今日まで伝えられ、多くの人々を救ってきた。それこそ、言葉と映像的イメージングによる白隠流自愛法である。

宝暦七年(一七五七)、白隠禅師は古稀を過ぎ、自伝的養生書『夜船閑話』(巻之上)を書いた。端的にいえば、自分が若い頃、坐禅修行のしすぎで罹った「禅病」をいかに克服し、なにゆえ今も斯くの如く元気なのか、それを物語的に解説したものと言えるだろう。

 禅病といってもピンと来ないかもしれない。本文では「観理度に過ぎ、進修節を失して、終に此の重病を発す」とあるが、要は公案(禅問答の問題)を拈提しすぎ、根をつめて修行しすぎた結果、「心火逆上」したというのである。

 今ならさしずめ運動もせずにパソコン仕事をしすぎ、異様なほど交感神経が緊張した状態といえるかもしれない。若き白隠はこれによって両脚が冷たくなり、耳鳴りにも悩み、それどころか気持ちもおどおどして、悪夢にも悩まされていたようである。

 そこで白隠は、京都の白河山中に住んでいる白幽先生を訪ねる。歳は百八十歳とも二百四十歳ともいわれているようだから、これも仙人と思ったほうがいい。

 そういえば「至人」「真人」などの表現が本文に出てくるが、これは『荘子』の言葉である。自分の姿が道士(道教の修行者)に似ているからといって、道術だと思ってはいけない、これもまた禅だと、わざわざ白幽先生に言わせているが、誰もがそう思ってしまうほど、ここで説かれるのは道教的なベースに乗った処方である。

 もっとも、禅は中国で道教的な基礎の上に発展したものだから、その辺りはもっと学ぶべきだと、白隠は考えていたのだろう。

 この本には『荘子』『易経』『魔訶止観』『素問』などからの引用が出てくるが、これも白隠自身が親しんだ思想と考えるべきだろう。

 さて早速その処方を聞きたいところだが、白幽先生はご丁寧にも陰陽五行による生命観から説き起こす。その上で、肺の「火」を丹田におろし、腎の「水」を上へ上げて「交わる」ようにせよと言う。「交」こそが「生」の象だというのである。

 通常、我々のからだは、下半身が温かく、上半身が涼しいのが理想とされる。漢方では「上虚下実」というが、白隠の場合、これが逆になっているわけだから、気血を下のほうへおろさなくてはならない。

 その最良の方法が、「観の力」、内観の秘法だというのである。
 
 じつは内観といっても、言葉、音、映像による方法と、さまざまあるのだが、ここでは私が実際に行っていた言葉による誘導法をご紹介しよう。これは『遠羅天釜』巻の上に書かれている言葉を、唱えやすく修正したものである。

 吾ガ気海丹田 腰脚足心、總二是レ趙州ノ無字、無字何ノ道理カ在ル
この調子で「気海丹田、腰脚足心」と五度ほど繰り返し、是れ即ち「本来の面目」「唯心の浄土」「己身の弥陀」「本分の家郷」などと唱えていくうちに「気海丹田、腰脚足心」に意識がどんどん集まっていく。

 まるでそこが無限の可能性を秘めた場所のような気がしてきて、自然に下半身全体が温まっていくのである。

 ちなみに「足心」というのは土踏まずのことで、荘子は「真人」の呼吸は踵でするのだと書いている。

 奇想天外に聞こえるかもしれないが、『夜船閑話』にも「唯心所現」とある。心に強くイメージした象に、からだは素直に従ってくれるのである。

 むろん、心中で「気海丹田」とか「腰脚足心」と唱えた途端、すぐに現実の自分の下腹部や腰・脚・土踏まずで、意識を持って行かなくてはならない。意識が行った場所に気血(精気や血液)が運ばれ、ほどなくそこが温かくなってくるから不思議である。

 できれば息を深く長く吐きながらイメージを拡げてほしい。誰にでもできる言葉とイメージングによる身心調整法である。

 言葉のイメージ喚起力を利用した身心調整法が「内観の秘法」だとすれば、「軟酥の法」は純粋に映像的イマジネーションを用いる内観法といえるだろうか。

 いや、視覚だけでなく、熟練してくると味覚や嗅覚も関係してくる。一生かかっても「用い尽くせない」方法だというのだから、相当奥深いのだろう。これも「内観の法」の一つには違いないのだが、通常は単独で扱われることが多い。

 軟酥とは、バターのようなものと思えばいい。ただしその色や香りが清浄だと感じることが大切だから、「私、バターは嫌いなの」という方は、たとえばラベンダーの香りの香油の塊とか、何でも好きなものを想定すればいい。とにかく鴨の卵ほどの大きさの軟酥が頭頂に載っており、それが溶けてひたひた頭蓋に染み込み、首、肩、胸から全身が潤っていくイメージをもつ、というのだから、好きじゃなければ耐えられないだろう。

 幸い私はバターが好きだし、先日も肩が痛かったため、軟酥の法を試みた。

 まず大切なことは、坐禅のときと同じく、「目を収めて」坐ることである。短い時間しかない場合は、いっそ目は閉じたほうが効果的かもしれない(坐るのは椅子でもいい)。

 そのうえで息を長く深く滑らかに吐きながら、頭上のバターが融けていく様子をなるべく精密に思い描くのである。

 意識というのはその本性として一点に集まりやすい。するとすぐに思考が始まってしまい、映像的な動きが止まってしまう。

 だからいっそ刷毛で撫でるように面として思い浮かべたほうがいいかもしれない。息を吸うたびに頭上で融けたバターを想像し直し、それが吐きだす息と共に皮膚面も内部も潤しつつ下へ下へとおりてゆくのである。

 そうすると、不思議なことに、痛みのあった部分にも痛みを感じなくなっていく。それだけでなく、肺肝腸胃、あるいは横隔膜にも染み透ってゆくから、その辺りも調っていく。これはもう、喜びに満ちた最高のイメージングである。

 しかもその際、皮膚や臓器ばかりか、これまでに積み重なってきた亜念なども下へ下へ流れ出ていくと想うのである。

 呼吸のたびに上からイメージし直すが、一度通った場所は確認程度で済むし、まだ違和感がある場所には念入りに染み込ませればいい。

 そうしてどんどん下のほうに温かい液体が溜まり、しまいにはそういう香油のお風呂に下半身を浸したような気分になってくる。

 一応、足心(土踏まず)からバターが融け出てくるようになったら終了、ということではあるが、もっと余韻に浸り、バターの風呂にも入っていたい、という場合は、どうぞ勝手に続けてください。

 誰もが長年馴れ親しんでいるかに思えるそれぞれのからだではあるが、使いこなせるまでにけっこう修練が要る。修練というより、それこそ「養生」というものだろう。よく「ご自愛ください」などというが、最近は自愛の仕方を知らない人が多い。

 一生使える自愛法として、軟酥の法は如何だろうか。鼻先に付けた毛さえ揺れないほど静かに息を吐きながら、全身の毛穴から息と一緒にバターが染みだしてくる。それは人知れぬイメージングによる究極の自愛法である。

 この方法に習熟した白幽先生は、山中で食料の蓄えがなくなり、数ヵ月の間食べずに過ごしたらしいが、凍えもせず、飢え死にすることもなかったという。

 むろん、そんなことは真似しないでいただきたい。白幽先生はすでに百八十歳は二百四十歳か判らないほどの年齢なのだから、どうしても真似したければ百五十歳を超えてからにしてください。
 
 玄侑宗久(げんゆう・そうきゆう)氏の「禅師、かくの如く自愛せり」より
  (玄侑宗久 臨済宗妙心寺派福聚寺 住職・作家)
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 ありがとうございました。

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ありがとうございました。

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